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歴史と旅が好きな元教員の書く徒然

不登校の偉人について。100年以上前にいた偉大なる不登校ー「歩く百科事典」南方熊楠

 

どうも夏目です。

 

 

 

 

前回不登校のことについて長々とか書かせていただきました。

 

 

nattsu1991.hatenadiary.jp

 

 

 

今回から不登校の偉人について紹介していきたいと思います。

 

 

 

 

 

記念すべき第一回目は、

 

 

 

 

 

 

 南方熊楠という方を紹介します。

 

 

 

 

 

1.生まれ

 

 

 

南方熊楠は1867年に和歌山県の現在の和歌山市に生まれます。

 

 

 

 

名前の熊楠というのは、熊が熊野権現から、楠が熊野権現にあった大きな楠からとったと云われています。

 

 

 

 

父が南方酒造(現在の世界一統)創業者で家は和歌山県でも有数のお金持ちだったそうです。

 

 

 

 

そんな家庭で生まれ育った熊楠少年は野山を駆け回って昆虫採集や菌類の採集をしていたそうです。

 

 

 

 

あまりにも野山を駆けずり回りすぎて、家にも帰らないこともあったので、「てんぎゃん(天狗)」とあだ名されました。

 

 

 

 

また、本を読むのも大好きだったそうです。その中ですごかったのが彼は本を書写する能力が卓抜していたそうです。

 

 

 

 

 

蔵書家の家で100冊を超える本を見せてもらい、それを家に帰ってか書写していたそうです。

 

 

 

 

ものすごく記憶能力が優れていたようです。それが将来ものすごく役に立っています。

 

 

 

 

 

地元では神童と言われていたそうです。

 

 

 

 

そんな学校では問題児だったそうです。

 

 

 

 

しかしそんな中、鳥山啓と出会い博物学をすすめられ、夢中で勉強したそうです。

 

 

 

そして彼は中学卒業を期に和歌山から東京に移りました。

 

 

 

 

2.東京からアメリカへ

 

東京に移った南方熊楠は東京大学予備門(現在の東京大学教養学部)に入ります。

 

 

 

 

しかし、彼はまったく学校に行かなかったそうです。

 

 

 

 

そう彼はいわゆる不登校になります。

 

 ただし、

 

 

 

 

 

 

積極的な不登校です

旅行のイラスト「家族で山登り」

 

彼は粘菌を集める為に野山をまた駆けずり回ったそうです。

 

 

 

 

そして、博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学など様々な分野を学ぶようになっていきます。

 

 

 

 

しかし学校に行かなかったため落第してしまい、最終的に東京大学予備門をやめます。

 

 

 

 

 そして、アメリカに行きます!

 

 

 

[フリーイラスト素材] クリップアート, 地図, アメリカ, 国旗, アメリカの国旗 / 星条旗, SVG ID:201501221000

 

 しかし、アメリカに行ってからも熊楠は自分のスタンスを変えることはありませんでした。

 

 

 

 

学校に入っても問題を起こしてやめるなど破天荒な性格なままでした。

 

 

 

3.アメリカから世界へ

 

アメリカに渡った熊楠でしたが、大学に入っても日本にいたスタンスとまったく変わりませんでした。

 

 

 

いくつか大学に行きましたが、どこも長続きはせず、退学を何度か経験しました。

 

 

 

 

キューバなどの中南米の国々を周り菌類の研究を行い、その後ヨーロッパで研究に励みます。

 

 

 

ロンドンに渡って大英博物館に出入りして研究を行います。クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

 

その中で日本の書物の翻訳活動も行います。

 

 

 

 

有名な「竹取物語」や「方丈記」などの日本文学を現地の研究者と協力して行っています。

 

 

 

 

 

また、有名なイギリスの学術雑誌、

クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

ネイチャー」にも熊楠の論文が掲載されます。

 

 

 

 

生涯で約50稿ネイチャーに論文が掲載されており、これは日本人としては最も多い記録となっています。

 

 

 

 

ちなみに1893年に初めて記載された論文は「東洋の星座」というもので、彼が学問の幅広さが垣間見えます。

 

 

 

 

また、イギリス生活を中で、彼は中国の革命家である

クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

孫文とも親交を深めます。

 

 

 

そんな中、1898年に大英博物館で人種差別を受け、暴力事件を起こし大英博物館を追い出されてしまいます。

 

 

 

そして日本に帰国します。

 

 

 

 

4.帰国してからの活動

日本に戻ってからは熊楠は自然保護活動に精力的に動きます。

 

 

1906年に「神社合祀令」が出されます。

 

 

これは、日本各地で神主のいない神社や土地をまとめるという法律でした。

 

 

その中で熊楠の出身地である和歌山県では3700あった神社が2900もなくなるという事態が発生します。

 

 

 

熊楠はこれに対する反対運動を起こします。

 

 

 

なぜこれに熊楠が関わっていたかというと、彼が神社の周りにある自然も研究の対象としていたからです。貴重な粘菌の採集を神社でも行っていました。

 

 

そういった熊楠たちの努力もあって、1918年に国会で神社の合祀の反対が認められました。

 

 

 

 

 

5.昭和天皇へのご進講、最期

熊楠の研究結果が認められ、1929年に昭和天皇の前でご進講を行われました。

 

クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

 

ご進講というのは天皇などの地位の高い人の前で学問の講義を行うことです。

 

 

 

 

それが行われたというのはそれまでの研究が非常に価値のある物であったことがわかります。

 

 

 

その後、熊楠は1941年に亡くなりました。

 

 

 

 

それから、22年後の1962年に昭和天皇が再び訪れた際に熊楠の事を思い出してこんな和歌を読んだそうです。

 

 

 

雨にけぶる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思う

 

 

 

昭和天皇が人の名前を入れて読んだ和歌はこの一つしかないそうです。

 

 

 

 

 

それだけ思い入れのある人物であったのでしょう。

 

 

6.まとめ

 南方熊楠は生涯で学校という組織になじむことが出来なかった人だと私は思います。

 

 

 

しかし彼は、学校以外で多くの事を学び、それが現代でも高い評価を得ております。

 

 

 

今不登校が増えている日本の中で、実は眠れる才能を持っている人がいるのではないでしょうか?

 

 

 

不登校だからダメなやつではなく、その才能いかに活かすかということを社会が考えなければならないと私は考えます。

 

 

 

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不登校について―現在はどれぐらいの不登校がいて、いつから不登校は全国的に広まったのか?原因は何か?

どうも夏目です。

 

 

 

11月に入り秋らしくなってきていますね。

 

 

 

  

 

 

 

秋になると涼しい気候の反面、朝と夜の寒さが増してきて、外に出るのが嫌だなと思う人もいるかと思います。

 

 

 

ということで今回は不登校について書きたいと思います。

 

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不登校とは

 

 

「不登校」とは何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、「病気」や「経済的理由」によるものを除くものと定義している

 

※「不登校」の具体例

  • 友人関係又は教職員との関係に課題を抱えているため登校しない(できない)。
  • 遊ぶためや非行グループに入っていることなどのため登校しない。
  • 無気力で何となく登校しない。迎えに行ったり強く催促すると登校するが長続きしない。
  • 登校の意志はあるが体の不調を訴え登校できない。漠然とした不安を訴え登校しないなど、不安を理由に登校しない(できない)。 

文部科学省

 

文部科学省ではこのように定義していますが、専門家の中でも意見が割れているそうです。

 

 

私自身も以前中学校に勤めていました際に不登校の子どもを目にしてきました。

 

 

その中で見てきた子の中には無気力で来ない子であったり、体の不調を訴えて学校に来るのを渋ったりする子がいました。

 

 

 

では不登校はいつぐらいから全国的に問題化していったのでしょうか?

 

 

 

 

不登校の歴史について

 

 不登校の歴史を知る前に学校がいつから始まったのかについて以前書きましたのでその上で書いていきたいと思います。

 

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学校教育が現在のようなシステムになったのは戦後からです。このころから義務教育が9年間になっています。

 

 

 

小学校・中学校に行くことが義務になりました。

 

 

 

 

高校は義務教育ではありませんがほとんどの人が行くようになり、現在は98%の人が行くようになっています。

 

 

 

それに伴い不登校問題も発生してきます。

 

 

 

不登校はかつて「登校拒否」と呼ばれていました。

 

 

登校拒否というと学校が嫌いで行くのが嫌であるイメージになります。

 

 

1970年代後半から1980年代前半は校内暴力が全盛期の時代で、その頃はどちらかというと学校が嫌いで来なかった子どもが多かったので登校拒否という言い方が使われていました。

 

 

 

そして熱血系のドラマが流行ったりしました。

 

 

代表的なものが

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スクール☆ウォーズ です。

 

 

 

そしてこの時代の後ぐらいから学級崩壊やいじめが社会問題になってきました。

 

 

 

それに伴い、引きこもりや不登校が増加してきました。

 

 

 

 

なので不登校という言葉が使われ始めたのは昭和の終わりから平成の始まりであると云われています。

 

 

 

 

ちなみに私が勤めていた学校では不登校という言葉が使われていました。

 

 

 

 

では実際に不登校はどれぐらいいるのでしょうか?

 

 

 

 

不登校の数

 

それでは実際に不登校はどれぐらい今現在いるのでしょうか?

 

下のグラフは平成27年度までの小中学校不登校の数を表したグラフです。

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 全体で約12万6000人で全国の小中学生の1.26%が不登校になっています。小学生で焼く0.43%、中学生で2.83%です。小学生は227人に1人、中学生は35人に1人の割合で不登校になっています。

 

 

 

なので、中学校では各クラスに1人は不登校がいる計算になります。

 

 

結構多いんだなと思います。

 

 

 

最期に不登校の原因について書きます。

 

 

不登校の原因

 

 

不登校の原因は正直たくさんあり、これが原因と一つのものを上げることはできませんが、いくつか紹介していきたいと思います。

 

 

  1. いじめ
  2. 教員との人間関係
  3. 無気力

 

1.いじめ

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不登校の原因になるもので大きな原因となるのがいじめです。暴力的なものから、陰口のような陰湿なものまで多岐多様にわたります。

 

 

よくこんな子はいじめにあいやすいというものがありますが、正直なところいじめは誰が標的になるかはわからないです。

 

 

成績が良かったり、かわいかったりして嫉まれる場合もありますし、からかいやすくてもなります。

 

 

 

そして私はいじめはなくならないと思っています。(現在のところ)

 

 

 

 

なぜかというと、人間には好きという感情があるからです。 

 

 

 

これはとある本に書かれていたタモリさんの言葉を引用したものですが、ものすごく確信をついているなと思いました。

 

 

例えば、自分が中学生の男のだったとして大好きな女の子がいたとします。

 

 

しかし、その子が別の男の子のことをが好きでその子と付き合うことになったらどうなるでしょうか?

 

 

大人でも割り切れないこの問題を多感な中学生はどうとらえるでしょうか?

 

 

きっと私が中学生なら恨んだり、嫉んだりするでしょう。(今はしませんが)

 

 

周りに風評被害を流したりするかもしれません。

 

 

 

このように好きという感情が原因となって奪い合いが発生します。これは物でも一緒です。自分が食べたかったラーメンを食べられた、欲しかったゲームを先に買われて変えなかったという経験はすべて好きという感情が原因で発生しています。

 

 

もちろん人を好きになったり、何好きなことができて夢中になることはいいことです。それが人類の発展を支えてきたのですから。

 

 

ただし、そこから憎しみや悲しみも生まれていることを知るとなんだか切ない感じがします。

 

 

 

 

2.教員との人間関係

生徒同士だけでなく、教員との人間関係も原因の一つと云われています。

 

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例えば、今までは優しい担任の先生だったのが急に厳しい担任の先生になり、怒られることが増えたとします。

 

 

先生としては子どもが良くなってほしいと思って言っていることでも、子どもは自分のこと否定しているんだと思ってしまうことがあると思います。

 

 

そこから、学校に行きたくないと思うようになって行かなくなることもあると思います。

 

 

先生としては一生懸命子どものことを思っているのになぜ来ないのだと躍起になって無理やり来させようとしますが、そうなってしまっては絶対に子どもは来ないと私は考えます。

 

 

そこには信頼関係はないのですから。

 

 

 

そうなる前に気づかなければならないと思います。

 

 

 

3.無気力

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よく学校がつまらないと中学生ぐらいになると思っていた人はいたと思います。それで無気力だなーなんて言われてことはないでしょうか?

 

 

なぜつまらなかったのでしょうか?

 

 

 原因はいくつかありますが、それはおそらく興味のないことだったからではないでしょうか?

 

 

社会の謎の年表の暗記、数学の公式、国語の古文などなぜこれを勉強しなければならないのかと感じた方は多いはずです。

 

 

家でゲームをしたほうがよっぽど楽しいと思った人もいたのではないでしょうか?

 

 

 

反対に勉強が好きで簡単すぎて学校がつまらないと感じた人もいませんでしたか?

 

 

 

 

私は社会の歴史が好きだったのでもっとたくさん学びたいと思っていても周りに合わせて簡単なことを勉強していたのであまり面白くはありませんでした。

 

 

 

 

つまらないということでくくられがちですが、実はその理由を詳しく見るとちがっていることもあります。

 

 

特に興味のある無しで考えると実は発達障がいも関係しています。

 

特に自閉症スペクトラムなどはこういった不登校の原因に関係していると考えられています。(書き記事にて詳しく書きましたのでご参照ください)

 

 

 

 

 

nattsu1991.hatenadiary.jp

 

 

 

まとめ

不登校は現在数が増えてきており大きな社会問題となっています。

 

要因もさまざまあり、対応策も一つではないので正直なところ具体的な解決策はありません。

 

 

ふと考えたのですが、不登校は悪いことなのでしょうか?

 

 

中学校に勤めていたは何とかして学校に来させなければならない、と周りの教員に合わせていいました。

 

 

しかし、最近発達障がいの子たちで学校にうまく合わせられなくても、自分の才能持っている子達を目にする中で疑問を感じるようになりました。

 

 

もしかしたらその子たちは不登校になるかもしれません。

 

 

 

ただ生きづらさを感じて生きていくよりも、自分のやりたいことをしている方がこれからの時代を生きていくうえで大切だと思います。

 

 

 

 

ということで、これから不登校の偉人を定期的に紹介していきたいと思いますのでこうご期待して待っていたください。

 

 

 


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重要待つことの重要性について〜4歳と2歳との関わりを通して

どうも、どうも夏目です(^ν^)

 

 

 

今から書くことは昨年私が働いている時に起きた出来事です。

 

 

 

 

 

 

私が働かせていただいている事業所では下は2歳から上は小学5年生まで通っています。

 

 

その中でも2歳と4歳との間であったことについてお話しさせていただきます。

 


最初にこの子たちと話をしても通じないことが多かったです。

 

 

例えば呼び方。

 

 

なぜだかよくわからないですが、

 

 

ついた呼び名がはみでちゃん.

 


子どもの考えることって本当に面白いなと思いますo(^_-)O

 

 

 

 

どうしたら子どもが言うことを聞いてくれるのかなといろいろと画策しながら、1ヶ月間を過ごしながら気づいたことがありました。

 

 


その中で気づいたのが、子どもの困ったことを聞いてあげることというのが非常に大切なことだと思いました。

 

 

 


たったそれだけと思いますが、僕が子どもの信頼を得るために行ったのはそれだけかなと思います。

 

 

 

 

ただ、その中で大事だと気をつけたことがありまして、それは子どもにできることはやってもらうということでした。

 

 

 

 


そのために重要になってくるのが、待つということです。

 

 

 


これってなかなか我慢できない人が多いように思います。

 

 

例えば、お片づけ

 

 


これは子どもでもできることですが、我慢できずに親がやってしまったり、先生とかがやってしまってりすることって多いのかなと思います。

 

 

 


それをしてしまうと、大人がやってくれるんだと子どもが思ってしまい、逆に子どもが片づけ
がしなくなるのかなと思います。

 

 

 


そのときに待つことが子どもの成長につながるのかなと思っています。

 

 

 

ただそのときに困ったことを助けないと子どもからの信頼は得られないと思います。

 

 


例えば、高いところのものを取ってあげること。

 

 


これは身長が低い子どもにはできないことです。

 

 

 

こうしたことに気付くことで子どもから信頼される大人になるのかなと思います。

 

 

 

 

そういったことを考えながら1ヶ月間すごした結果、はみでちゃん呼ばれていたのが、今では先生と呼ばれるようになりましたo(^_-)O

 

 

 

そうしたことから、教育でやっぱり大切なことは子どもからの信頼を得ることだと改めて実感しました。

 

 

 

そういったことを考えながら生活すると、意外と自分のやりたいようにやっても子どもはついてくるんだと思います(^ω^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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名古屋にある隠れた観光スポットー大正から昭和につくられた建造物揚輝荘について(後編)

どうも夏目です。

 

 

 

前回から引き続いて揚輝荘のことについて書きたいと思います。

 

 

 

 

揚輝荘をつくった伊藤祐民については前回の記事から

 

 

 

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今回は揚輝荘の建物について紹介したいと思います。

 

聴松閣

 

今回私が訪れたのが、揚輝荘の中の聴松閣という建物です。

 

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外見が赤色の壁でありながら、レンガ部分もあり、日本的な屋根といろいろなものがおり混ざった感じの建物になっています。

 

では建物の中を紹介したいと思います。

 

床の作りについて

聴松閣は床の作りが全ての部屋で違っています。

 

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こちらはプラスチックタイルの床。一枚一枚が分厚くなっています。

 

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こちらはチェックのような感じになっています。

 

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 こちらの床はラーメンの器に書いてある柄のような床になっています。

 

この部屋の天井には、

 

なんと

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鳳凰があります!

 

 

つまり、中華をイメージした部屋になっています。

 

 

 

 

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こちらはトイレの床です。

 

 

 

つくられた当初から全く変わってないそうです!

 

 

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床が畳の部屋もあります。茶室としても使われたり、来賓客の着替えの部屋として使われたりしました。

 

 

 

暖房設備について

 

聴松閣はいたるところに暖房設備が整っています。

 

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こちらの写真はぱっと見だとわかりませんが、実は床暖房が通っています。手前の銀色のところの下に配線が通っています。

 

 

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こちらの写真は暖炉です。

 

 

 

聴松閣の建物の中には暖炉がある部屋が多いです。

 

 天井について

 洋風な部屋や作りが多い中、天井は和風な作り方が多いです。

 

 

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 これは日本風の作りです。

 

作り名はちょっと忘れましたm(__)m

 

 

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こちらは竹を使った天井です。

 

きれいな編み込みみたいになっています。

 

 

 

天井と関連して、照明もそれぞれの部屋によって違います。

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こちらは中華をイメージした部屋の照明です。

 

 

 

ラーメンどんぶりの感じに似てます。

 

 

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こちらはランプです。落ち着いた光です。

 

 

その他のつくり

 

 

聴松閣は来賓向けの階段です。

 

 

 

非常に大きく開けています。

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こちらは使用人の階段です。

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 このように来賓と使用人で導線を分けて作っております。

 

 

 

 

 階段には手斧(ちょうな)彫りという特殊な加工が施されています。手斧とはかんなが出てくる前に木を削る道具のことです。

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階段の穴が開いているところは、手斧で削ったものです。これは、現代の職人さんでも再現することが難しいそうです。

 

 

 

 

 

 

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 こちらはインドにあるアジャンター石窟壁画を模倣して描かれたものです。

 

 

 

 

伊藤祐民がインドに行った際に感動して、自分の別荘に作らせたそうです。

 

 

 

和洋中インド折衷という結構むちゃくちゃな感じがしますが、なぜか妙にしっくりきます。

 

 

 

最後に暖炉に隠れていたものを紹介します。

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 これは暖炉に埋め込まれていたものです。西寺というお寺の瓦が使われています。

 

 

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 こちらは何かわかりますか?

 

 

 

これは豊臣家の家紋だそうです。豊臣家の建物の何かに使われていたみたいです。

 

 

 

 

まとめ

今回行った揚輝荘は意外とかなりすごい建物であると感じました。

 

 

 

伝統的な技や、多様な文化を取り入れた内装、貴重な骨董品をふんだんに使った暖炉など見て楽しめるものが非常に多かったです。

 

 

来ている人も少なかったので落ち着いて見れるのでデートとかにもいいかもしれません。

 

 

揚輝荘への行き方や詳しい情はこちら↓

 

揚輝荘 公式ウェブサイト

 

 

ぜひ一度行ってみてください!

 

 

 


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名古屋にある隠れた観光スポット-大正から昭和につくられた建造物揚輝荘について(前編)

どうも夏目です(^人^)

 

 

 

 

最近は雨でなかなか外に出るのが出来ない日々が続いていて少しフラストレーションがたまっておりました。

 

 

そんななか先日、台風一過のあとぶらりと名古屋を外出するしました。

 

 

 

今回行ったところは

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ここです(^人^)

 

 

どこでしょうか?

 

 

ここは

 

 

 

揚輝荘です。

 

 

 

ここがどんなところで何に使われていたのか紹介したいと思います。

 

 

今回はその前編です。だれが作ったのかを障がいしていきたいと思います。

 

揚輝荘をつくった伊藤祐民とは?

揚輝荘は

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 大正に名古屋に伊藤次郎左衛門祐民によってつくられた別荘のことです。

 

 

 

 

 

この方の血筋がものすごいです!

 

 

 

 

 

 

初代が伊藤祐道という方なのですが、この方別名で蘭丸と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

蘭丸と聞いてピンとくる方はそこそこの歴史好きです。

 

 

 

 

 

 

 

そう森蘭丸です。

 

 

森蘭丸は織田信長に仕えた小性(召使的な存在)の1人です。実は蘭丸というの森蘭丸以外にも3人いたそうでそのうちの1人が初代の伊藤祐道だったそうです。

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しかし一番有名な森蘭丸はご存知の方もいると思いますが、あの本能寺の変で信長と一緒になくなっています。

 

 

その後伊藤祐道は武士をやめて商売人として生き始め、1611年に呉服小間物問屋を開業しております。

 

 

 

 実は揚輝荘をつくった伊藤次郎左衛門祐民にも実は武士の名残があります。

 

 

 

それは名前の中にある左衛門という文字です。

 

 

これは実は戦国時代の武士の役職名を現しており、左衛門という門を守っていたからではないかとも言われております。

 

 

 

信じるか信じないかはあなた次第です。

 

 

この伊藤祐民さんの代で17代になっております。

 

 

 

なので、非常に由緒ある家柄の方です。

 

 

ではこの伊藤祐民はなにをした人なのか?

 

伊藤祐民の業績

 

祐民は問屋をしていましたが、その後とある百貨店を開いております。

 

 

名古屋の方ならご存知の百貨店です。

 

 

 

そう、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松坂屋です。

 

 

 

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この名古屋で有名な百貨店を作ったのが伊藤祐民です!

 

 

 

 

 

名古屋で最初につくられたデパートメントストアです。

 

 

 

 

それ以外にも名古屋商工会議所の会頭として、名古屋観光ホテルの建設、名古屋駅の開業、和合ゴルフ場開業など名古屋を国際都市ふさわしいまちづくりを行っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そういった活動の一環として別荘である揚輝荘も作っております。

 

 

まとめ

 名古屋の街づくりをする上で伊藤祐民は大きな役割を果たしました。今日名古屋が日本を代表する都市となる礎を気付いたのはこういった方々のおかげなんだだなと実感しました。

 

 

 後編では揚輝荘の建物の中について紹介したいと思います。

 

 

補足

 

名古屋の街が作られたのが江戸時代の初期の頃で、昔は尾張国の中心は清洲であったそうです。

 

 

それを街ごと名古屋に移して、今の名古屋の街が作られたそうです。

 

 

 

名古屋中心部が碁盤の目のように綺麗に区画されているのはそのためだそうです。

 

 

揚輝荘のボランティアのおじいさんから教えてもらいました。

 

 

 

おじいさんの知識はすごいなあと思いました。

 

 

 

これこそ温故知新ですね。

 

 

 


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発達障がいについてー映画でわかりやすく学ぶ

どうも、こんばんわナッツです(^O^)/

 

 


何回か発達障がいのことについて記事にしてきましたが、具体的にイメージがわかない人もおられると思います。

 

 


そんな人には映画なんかで知るのなんかオススメです。

 

 


その中で今日はいくつか紹介させていただきます。

 

 

ものすごくうるさくてありえないほど近い 

 

 

この映画は2011年につくられた作品です。

 

 

 


これは私が大学時代に見た映画で、この当時はまだ発達障がいのことについて意識して見てはいめせんでした。

 

 

 


この映画はアスペルガー症候群の子どもが主人公となっています。

 

 

 

物語は2001年にアメリカで発生した同時多発テロ事件を背景にしているものです。

 

 

 


映画解説・あらすじ
大好きな父親を911のアメリカ同時多発テロで亡くした少年が、父親の残した鍵の謎を探るべくニューヨーク中を奔走する姿を描く感動ドラマ。

911の同時多発テロで、大切な父(トム・ハンクス)を亡くした少年オスカー(トーマス・ホーン)。ある日、父の部屋に入ったオスカーは、見たことのない1本の鍵を見つける。その鍵に父からのメッセージが託されているかもしれないと考えたオスカーは、この広いニューヨークで鍵の謎を解くため旅に出る。

 

 

 

 


この映画を見た中で自分が覚えているのが、親子の絆です。物語の中で子どもとお母さんの関係がギクシャクしていきます。その中でもやっぱりお母さんはお母さんなんだなっていうのが感じられたのが僕は見ていてほっこりさせられました(^ν^)

 

 

この映画に出てくる主人公の行動を見ていると少しは発達障がいのことについて理解ができると思うので気になる方は是非みてください!

 

 

 

ギルバート・グレイプ

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主人公のギルバートは食料品店で働きながら知的障害のある弟のアーニー、夫を自殺で亡くして以来家から出たことのない過食症の母、2人の姉妹の生活を支えている。生まれ育ったアイオワを一度も出たことがないギルバートは、家族をおいて1人で出て行くわけにもいかず、悶々とした日々を過ごしている。

 

ある時ギルバートが目を離したすきにアーニーが町の給水塔に登ってしまい、以前も同じことがあったので注意を受ける。

 

そんなときに旅の途中でトレーラーが故障して、ギルバートの町にとどまることなったベッキーと出会う。

 

 

若き日のジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオが出演している映画です。

 

知的障害について描かれいるものですが、自閉症の要素も含まれていると感じたので私はこれを紹介しました。

 

 

ジョニー・デップやレオナルド・ディカプリオの映画が好きな方にはオススメです。 

 

 

レインマン

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自由奔放な青年が重度の自閉症の兄と出会って、忘れていた愛情を取り戻していく過程を現したロードムービー。心が温まる作品。

 

 

この作品の中で自閉症の一種であるサヴァン症候群が描かれています。

 

 

 

サヴァン症候群はごく特定の分野で優れた能力を発揮する人を現した症状のことです。

 

 

例えば、一度見た景色を寸分狂いもなく絵に描くことができたり、書籍などの暗唱ができたりします。

 

 

 

この映画では落ちたスプーンを瞬時に数えて正確に答えるシーンがサヴァン症候群の特徴を現しています。

 

 

ATARU

 

サヴァン症候群で不思議な力を秘めた青年アタルが未解決な事件を解決していく物語。

 

 

元SMAPの中居正広さん主演のドラマで、高視聴率だったこともあり、映画化もされています。

 

 

 

まとめ

発達障がいを普段生活で感じることが少ない方も実は映画やドラマなどで意外と学んでいます。

 

ヒットした作品も多いので、普通に見ても面白いと思いますので、是非みてください(^人^)

発達障がいについて~ADHD(注意欠陥多動性障がい)について

どうも、ナッツです。

 

 

  

 

 

 

今日お話しするのは、

 

 

 

ADHD(注意欠陥多動性障害)です。

 

 

 

 

 

 

これも発達障がいの1つです。

 

 

簡単にどんな特徴があるのか説明します。 

 

 

ADHDの特徴について

 

ADHDにどんな特徴があるかといいますと...

 

 

不注意-注意力を持続することができない。長時間集中することができず、忘れ物も多い

 

 

多動性ーじっとしていることができず、いすに座っていることができない

 

 

衝動性ー何かを思いついたときに考えたら行動に移してしまう。起こると乱暴になってしまう

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたら、クラスにいたあの子がこれに該当するかもしれないと思った方もいるかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

僕が以前教員を勤めていた学校にも普通にいました。一度キレてしまうと止められなくなってしまい、他の子に手を出してしまうということがありました。

 

 

 

 

 

 

 

ただし、日常生活ではごく普通に生活を送っている子でした。

 

 

 

 

 

 

 

学力面ではテストで 90点以上とってしまうこともザラにありました。

 

 

 

 

 

 

本当に見ていてもわからないところはありました。

 

 

 

 

 

ちなみに、男女比でいうと3~5:1男性の方が多くなっています。子どものころ落ち着かない子どもはどちらかというと男の子に多かったので納得できます。

 

 

 

 

 

 

さらに、ADHDの中でも他の発達障がいと併発することもあります。

 

 

 

 

例えば、以前お話した自閉症スペクトラム学習障がい

 

nattsu1991.hatenadiary.jp

 

 

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これらと一緒になってしまうと、勉強ができなくていらいらして物に当たってしまうといったことなどより大きな問題を引き起こすこともあります。

 

 

 

 

 

そういった場合には、より一層支援が必要になってきます。

 

 

 

 

 

大切なことはいかにその子の立場を理解して接することだと思います。

 

 

 

 

 

ムカついたことでいらいらすることって私たち大人でもあると思います。それでも成長するにつれて、気持ちをコントロールすることができるようになってきます。

 

 

 

 

特にADHDの子は、大人になると落ち着く子が多いので、それまで根気よく丁寧に向き合い続けることが大切なのかなと私は思います。

 

 

ADHDの子どもの才能の活かし方

 

ADHDの子どもはものすごく多動なところで落ち着きがないので一見するとどのような才能があるのかよくわからないところがあると思います。

 

 

では多動という特性をうまく活用できるものなんでしょうか?

 

 

 

それはスポーツです。

 

 

 

代表的な例を一つ上げてみます。

 

 

皆さんはこの方が誰だかご存知でしょうか?

 

 

 

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水泳選手のマイケル・フェルプスです。

 

 

 

この人は水泳をやっている人ならだれもが知っていいる有名な方です。

 

 

 

 

なぜなら、オリンピックや世界選手権で合計50個以上のメダルを獲得しています。

 

 

 

彼はADHDと言われています。

 

 

 

 

子どもの頃は同世代の子どもだけでなく、先生からもいじめられていたそうです。

 

 

そんな中彼のお母さんは水泳をやらせたところその才能に気づき、めきめきと頭角を現していき、ついにはオリンピックでメダルを取るまでになりました。

 

 

これはADHDの多動性の部分の才能が発揮された1つの例です。

 

 

 

多動ということは他の子どもに比べてエネルギーがあるということになります。

 

 

 

彼は北京オリンピックでは8個メダルをとることができました。

 

 

これはADHDの多動性の特性があったからこそもたらされた結果ではないかと私は考えます( ^ ^ )/■

 

 


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