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ナッツ ダイアリー〜その時々の時事や感情に任せて

歴史と旅が好きな元教員の書く徒然

徳川家康が260年も続く幕府を開くことができた本当の理由について考える 第2部

どうも夏目です。

 

昨日は徳川家康について書きましたが、今日はその内容について続きからお話したいと思います。

 

nattsu1991.hatenadiary.jp

 

 

関東左遷から 秀吉が死ぬまで

 

前回家康が秀吉によって関東に左遷されたところまで書きましたが、そのときすでに48歳でこの時代では結構な年寄りになっているときでした。

 

 

 

ちなみに人間50年と歌った織田信長は48歳で死んでおります。かなりピンポイントでした。

 

 

なので今の社会人でいうところの

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定年退職し終わっているレベルですね~

 

 

 

しかし、そんなことには関わりなく家康の人生はまだ苦労の連続・・・

 

 

 

 

秀吉の家臣として天下統一の協力をします。

 

 

 

その証として実話関東に飛ばされる前の1586年に、秀吉の妹を嫁にさせられています。

 

 

 

その妹は

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すでに40歳をこえたおばちゃんだったそうです。

 

 

 

 

完全に嫌がらせやん!

 

 

そんなこんないろいろいろいろなことを家康は我慢していました。

 

 

 

そんな我慢の時代もいよいよ終わります。

 

 

1598年に豊臣秀吉が病没します。

 

 

そこからついに家康の時代がきます!

 

天下分け目の関ヶ原

秀吉が亡くなり、なぜ家康が力を強めていったのか?

 

 

 

なぜなら、秀吉の跡継ぎがまだ幼かったからです。



今でいうところの、

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 小学生ぐらいだったそうです。

 

 

当然政治を行うことは不可能であったので、家臣が行うわけですが、その家臣の中で筆頭であったのが徳川家康であったわけです。

 

 

 

それでうまいこと根回しなどをして豊臣政権を乗っ取ろうと思うわけです。

 

 

 

しかし、それに待ったをかける人がいました。

 

 

それが、

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石田三成でした。

 

 

彼は豊臣秀吉の家臣として財政を主に行っていたのですが、かねてから家康のことを危険視していました。

 

 

 

そこで、豊臣秀吉の家臣たちと一緒になって家康を討とうと考えました。

 

 

 

しかし、それで豊臣家の家臣が一致団結して家康を討とうと考えたかというとそうではありませんでした。

 

 

 家康が根回しをしていたので、三成率いる西軍につくのか、家康率いる東軍につくのか大名の中ではどちらにつくのか迷っている人が多かったそうです。

 

 

有名なのが昨年ドラマになった真田丸の主人公の

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真田信繁(幸村)の家族です。

 

 

彼らは

西軍ー真田昌幸(父)、真田信繁(弟)

東軍ー真田信之(兄)

 

 

 

 

といった具合に両方につくことによって大名として家が潰されるのを防ごうとしていました。

 

 

 

そして、いよいよ関ヶ原の戦いが起きるわけです。

 

 

その中で家康の根回しが成功し、結果として東軍が勝ちます。

 

 

その後西軍方について大名は家康が厳しく処分していき、1603年に江戸幕府を開きます。

 

 

 

いよいよここから完全に徳川政権の安泰かというとまだそうではありませんでした。

 

 

最後の敵豊臣家

 江戸幕府を開いた徳川家康でしたが、まだ安心はできませんでした。

 

 

なぜなら、豊臣家が残っていたからです。

 

 

関ヶ原の戦いには豊臣家は直接的な関与はしていなかったため、家が処分されてはおりませんでした。(ただし、間接的に石高は減らされている)

 

 

そのため、影響力の強い豊臣秀頼がいることは幕府にとっては目の上のたんこぶでした。

 

 

 何とかしたかった家康は1614年に方広寺鐘銘事件でうまいこと豊臣を討伐するための口実を得ます。

 

 

これは鐘の文字の中にある「国家安泰」が家康を字を分断しており、「君臣豊楽」豊臣の世が栄えて欲しいという意味合いで描かれているのでないかといつ口実です。

 

 

そんなこんなで1615年に大坂の陣で豊臣家を滅ぼします。

 

 

結局家康が統一できた理由はなにか?

ここまで家康が天下を統一して江戸幕府を開くまでの過程を描きましたが、一番大きな理由は何か?

 

 

 

それは家康が長生きしたからです。



この当時の平均寿命は40歳ぐらいだと言われています。

 

そんな中家康は74歳まで生きています。

 

 

ちなみに三英傑の中で織田信長は48歳、豊臣秀吉が62歳で亡くなっているので、圧倒的に長生きしています。

 

 

なぜそんなに長生きができたのかというと、

 

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健康オタクだったからです。

 

 

家康は鷹狩りなどの運動を行い体を鍛え、自分で薬を調合したりして常に健康を意識していたそうです。

 

 

また、遊女(売春婦)をかわなかったそうです。

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他の大名は行っていたことをしなかった理由でこの当時の流行っていた梅毒にかかりたくなかったからとも言われています。

 

 

 

 もし家康が秀吉と同じ62歳で1603年に亡くなっていたら、江戸幕府は順調にはいかなかったでしょう。

 

 

2代目将軍徳川秀忠にはそこまでの器量はありませんでしたから。

 

 

 

目標を達成するためにはまず健康でいることが家康が身をもって教えてくれています。

 

 

 

 


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徳川家康が260年も続く幕府を開くことができた本当の理由について考える 第1部

 どうも夏目です。

 

 

前回、織田信長について書きましたが今回は、

 

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徳川家康について書こうと思います。

 

 

何で、彼が天下を取れたのかものすごく単純な理由であることは意外と知られていないかもしれません。

 

 

どうして天下統一することができたのか?

 

 

人質から始まった幼少期 

 徳川家康三河の大名の松平広忠の嫡男として生まれます。幼名:竹千代(たけちよ)

 

 

そんな竹千代少年の幼少期は苦難の連続でした。

 

 

それは、

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人質として生活を送っていたことです。

 

 

父である松平広忠氏は三河の小大名で周りを今川氏や織田氏に挟まれるという立場であったので非常に苦労していました。

 

 

今川氏

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織田氏

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どっちも怖すぎでしょ!

 

 

 

そんなこんなで織田氏、今川氏をたらいまわしにされます。

 

 

ただその中でもラッキーだったことは、今川氏で人質であった時に太原雪斎という今川氏の優秀な家臣の下で学べたことです。

 

 

そして、1560年の桶狭間の戦い織田信長今川義元に勝ったことで今川の人質から晴れて解放されます。

 

 

 

これで自由になれたと思ったのもつかの間でした。

 

 

 織田信長に苦渋をなめさせられた時代

 

桶狭間織田信長が勝ったことで家康は信長と同盟を結びます。これが「清須同盟」です。

 

 

しかしこれは対等な関係といううよりも、信長に家康が従うという従属的な関係でした。

 

 

立場的には信長が上だったので言うことは聞かなければなりませんでした。

 

 

 

それが顕著になって現れた事件があります。

 

 

 

これが、信康自刃事件です

 

 

 

家康の嫡男である松平信康織田氏の敵である武田氏と内通していると疑いがかけられてその結果自害させられています。

 

 

 

信康は非常に武勇などに優れた人間であった為、後に関が原の戦いで跡継ぎである秀忠が遅れた際には「信康がいきていたらなあ」とこぼすほどだったそうです。

 

 

 

また織田氏が近畿方面に攻める為に背後の戦国最強といわれた武田氏と戦う羽目になったりと、かなり貧乏くじを引かされています。

 

 

 

ちなみに武田氏と三方が原の戦いでこてんぱんにやられた際には、もう死ぬかもと覚悟したことがあり、その恐怖で、、

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うんこもらしちゃいました!

 

 

これはもらしたことを忘れない為に絵に描かせて自分への戒めとしたそうです。

 

 

このころも大変な時代でした。

 

 

豊臣秀吉にしてやられた時代

 

 しかし、1582年に本能寺の変織田信長が最期を遂げます。

 

 

 

これで晴れて信長から

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自由になりそろそろ俺の時代だ~と思った矢先に

 

 

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豊臣秀吉がうまいこと信長の後継者として名乗りを上げます。

 

 

そして信長の後継者争いで秀吉と家康は、小牧・長久手の戦いで戦います。

 

 

 

しかしここでも、秀吉が家康側にいた信長の息子の信雄をうまくとりこみ、最終的に両者和睦をすることになります。

 

 

 

そして秀吉の家臣となります。

 

 

それでいろいろとあって、本拠地の三河から関東に飛ばされます。

 

 

 

関東という今だと東京などがあり日本の中心ですがその当時はまだ開発前で田舎あったのでこれはいわゆる左遷です。

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そんなこんなで1590年家康48歳になっていますが未だに苦労が耐えない人生です。

 

 

 

果たして彼が栄光の天下統一に近づけるのか? 

 

 

続く

 

 

 


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織田信長って残虐なイメージがあるけど実際どうなのか調べてみた

 

どうも夏目です。

 

 

昨日に引き続き信長のことを書きたいと思います。

 

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信長のマイナスイメージ

 前回書いた信長はどちらかというと改革者としてのイメージの部分を書きましたが、今回は信長が持っているマイナスな部分である残虐な部分にスポットを当てて生きたいと思います。

 

 

 

その中で宗教勢力に対して行ったことについてできるだけ客観的に書いていきたいと思います。

 

  

 

比叡山延暦寺の焼き討ちについて

 

 

信長が行った非情な行動なとして比叡山延暦寺の焼き討ちです。

 

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 当時宗勢力である延暦寺の焼き討ちの際に僧侶のみならず、上人、女、子どもまで無情にも殺したといわれています。

 

 

 

 

端から見れば残虐で容赦ないなと思いますが、ふとここでおかしなことに気づきませんか?

 

 

 

お寺でお坊さんが修行をするところに、なぜ女、子どもがいるのか?

 

 

 

そう、お坊さんたち堕落しきっていたのです

 

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ということで修行もろくにしてないのはおかしいということでつぶしました。

 

 

こういったことも宗教勢力と戦った一つの理由ですが、もっと明確な狙いがあります。

 

 

 

宗教戦争の根絶

 戦国時代のころは宗教勢力が大きな力を持っていました。

 

例えばお寺には武装した、、

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僧兵もいました。

 

 

ちなみにこのときの比叡山延暦寺は僧兵がたくさんいる武装集団でした。

 

 

そして実際に武力行使の過激な行動もしています。

 

 

 

それが1536(天文4)年に起きた天文法華の乱です。

 

 

 

これは簡単に説明すると延暦寺側が日蓮宗側に対して「お前らの宗教認めてやるから金を出せ」とううような恐喝を行い、日蓮宗側がこれを拒否したことが原因で起きています。

 

 

 

怒った比叡山延暦寺側が天皇や幕府に討伐する許可を得て、日蓮宗二十一本山を焼き払い、法華宗の3000から1万人の人を殺害しています。

 

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お坊さんのくせにぜんぜん平和的なことをしてないやん!

 

 

 

 

戦国時代まではこういった宗教戦争はあちこちで発生していました。

 

 

 

 

 

中には幕府や天皇家などの政治に介入してくるやからもいました。

 

 

 

 

 

そんなこんなでかなり危ない集団であったのです。

 

 

今でいうところのISIL(イスラム過激派組織)みたいな感じです。

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ということで信長はそういった危ない宗教勢力を徹底的に潰しました。

 

 

 

 

しかし、信仰の自由は認めており、宗教の弾圧はしておりません。

 

 

 

信長は宗教勢力に対し、武装解除を行い、政治への介入することをやめさせました。

 

 

 

 

その結果、今の日本で宗教戦争は起きているでしょうか。

 

 

宗教的な対立が原因で起きている紛争は世界中で今も起きています。

 

 

アラブとイスラエルで起きている紛争がまさにそうでしょう。

 

 

また、欧米諸国で起きているテロ事件も宗教の対立が深く関わっています。

 

 

 

 

 

信長が宗教戦争を無くさなければ日本でもこういったことが起きていたかもしれません。

 

 

まとめ 

 信長が比叡山延暦寺の焼き討ちをしたことは一見すると残虐なイメージがありますが、そこにはいくつかの明確な意図があったと思われます。

 

 

 

 

そのときは確かに多くの人が亡くなっていますが、今の日本で宗教による紛争が起きていないのは信長のおかげかもしれません。

 

 

そういったところでは未来を見る先見性を持ち合わせた人物であったのではないでしょうか。

 

 

 


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織田信長がなぜ天下取りに名乗りを上げることができたのかを考えてみる

どうも、夏目です。

 

 

 

最近戦国時代の歴史に改めてはまっております。

 

 

 

 

それで今日はみんなが知っているこの人、、f:id:nattsu1991:20170308195856j:plain

 

 

織田信長です。

 

 

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これもみんな信長さんです。

 

 

 

 

小学校、中学校、高校と歴史を学んだ人なら存在はほとんどの人が知っていると思いますが、ふと思うのが、

 

 

 

この人って実際に何やった人だっけ?ということ。

 

 

 

 

その疑問を少しでも知ってもらえたらいいかなと思います。

 

 

 

幼少時代

織田信長尾張戦国大名である織田信秀の嫡男として生まれます。幼少期の名は吉法師。若いころは奇怪な行動をたくさんとっていたことから「うつけ」とよばれていました。

 

 

その有名なエピソードの1つに父である信秀が亡くなった葬儀の場で焼香を手でつかんでぶちまけるというとんでもないことをしています。

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みなさんは絶対やらないで下さい!

 

 

  

 

天下取りに名乗りを上げた桶狭間の戦い

 

 

 

 

父が亡くなりその後を継いだわけですが、もともと大きな大名であったかというとそんなに大きな大名ではありませんでした。

 

 

そんな彼が一躍有名になったのが、桶狭間の戦いです。

 

 

 

当時今川義元駿河遠江(現在の静岡県)を治める大大名で、2万5千の軍勢を率いて尾張へと攻め込んできました。これに対する織田勢は2千。数の上では織田方が圧倒的に不利でした。

 

 

そんな中でも頭を働かせて、豪雨の中今川本陣に奇襲をかけて総大将である今川義元の首を取り戦いに勝利を収めます。

 

 

そこから信長の天下取りに名乗りをあげていきます。

 

 

信長が行った政策について

 

 信長が天下統一に近づけた理由として彼が行った政策が大きく影響しております。特に他の人があまりやっていないこともしているので、パイオニアとして描かれるのもそのためなのかなと思います。

 

 

具体的に何をしたのか?

 

楽市・楽座や関所の廃止 

 楽市・楽座というのは簡単に言うと「誰でも自由に商売してもいいですよ」という制度です。その当時は座といういわゆる同業者の組合が利益を独占するような形をとっていました。

 

 

それを廃止して、税を軽減して経済を活性化させる取り組みを行いました。

  

そして国を越えるたびに通らなければならない関所も経済活動の邪魔だと考えて廃止しました。

 

その結果、信長が統治する国は経済が回るようになり、お金をたくさん稼ぐことができ、次のような政策を行えるようになりました。

 

 

傭兵制度の導入 

 戦国時代というと一年中戦いに明け暮れていたのではないかとイメージしがちですが、実際はそうではありません。

 

なぜかというとこの時代の兵のほとんどが足軽である農民であったからです。

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今でいうところの出稼ぎ労働者で兵はまかなわれていたのです。

 

 

そのため、田植えや稲刈りなどといった農業の季節になると国に帰ってしまいます。

 

なので戦をすることができません。

 

 

実際に戦国最強と謳われた武田の騎馬隊もそのほとんどが農民であったそうです。

 

 

 

農業の時期になると帰られては天下統一は進みません。

 

 

 

そこで、信長は楽市・楽座で手に入れたお金を使って、兵隊を雇うことを行いました。

 

傭兵制度」です。

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その結果信長は常設の軍隊を持つことができたので、戦をする上で圧倒的に有利になりました。

 

それとお金を使ってあることも行いました

徹底した実力主義の導入 

 戦国時代は下克上の時代といわれていますが、何だかんだで家柄などは重要視されていました。いわゆる同じ出身地の者や親族関係などで基盤を固めている人がほとんどでした。

 

 

そんな中で信長は実力主義で部下を登用していきます。有名なところでいうと、豊臣秀吉足軽出身であったり、明智光秀が出身地が違う美濃国の浪人であったり、身分や出身を問わずに実力のあるものを好んで部下にしました。

 

 

中には、、

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黒人の弥助と呼ばれる家臣もいたそうです。

 

 

ここまでくるとグローバル企業ですね。

 

信長の最期

 天下統一まで後一歩というところで信長はこの世を去ってしまいます。

 

 

これが世に言う本能寺の変です。 

 

 

 

そしてこれを起こしたのが家臣である明智光秀でし実力主義が招いたのがこの結果ですからなんともまあ皮肉なことでしょう。

 

 

 

これは現代社会にも言えることで実力主義で集めすぎると裏切りに遭うこともあるよと歴史が教えてくれています。

 

 

しかし、信長が行ったことは現在でも評価されることが多いのも事実です。

 

 

 


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松永久秀というとんでもないことをたくさんやらかした戦国大名

どうも、夏目です。最近戦国無双の動画を見たりして再び歴史にはまっていますが、その中で一人気になる人物が出てきました。

 

 

 

その名は、

 

 

松永久秀

 

 

 

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ゲームなどではこんな感じで描かれています。

 

なんかやらかしてそうなイメージですよね(笑)

 

 

何をやらかしてしまったのか?

 

 

3つほどやばいことをやらかしてます!

 

その1 東大寺を燃やす

 東大寺といえば奈良県にある有名なお寺ですよね。

 

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大仏が有名なお寺ですね。愛知県の人であるならば修学旅行で1回は行ったことがありますよね。世界遺産にもなっています。

 

 

そんな東大寺ですが実は2回燃やされています。

 

1回目は平安時代で、2回目が戦国時代でそのときに松永久秀が燃やしたと云われております。

 

 

戦国時代起きた東大寺大仏殿の戦いの際に燃やしています。

 

 

その際の夜襲をかけた際に松永軍が火をつけたともいわれています。しかしこれには諸説あり、不慮の事故であったのではないかともいわれています。いずれにしても東大寺の焼き討ちにかかわっていることは事実なのかなと思います。

 

 

その2 主君を滅ぼす

松永久秀は三好氏という大名の家臣でありました。

 

この三好氏が非常にで大きな権力を握り、三好政権という織田信長の前に戦国時代を簡単に統一しておりました。

 

 

しかし、この三好政権そんなに長くは続きませんでした。

 

 

理由は政権内で有力者がどんどん死んでいってしまったからです。

 

 

みんな若くして死んでいます。(20代~30代)

 

 

これに松永久秀が絡んでいたのではないかと噂されております。

 

 

信じるか信じないかはあなた次第です。

その3 時の将軍である足利義輝を暗殺する。

戦国時代は下剋上でいろいろな人が成り上がった時代ではありますが、そんな中でも将軍の力というのはなんだかんだであったと思われます。

 

 

 

その室町幕府の13代将軍足利義輝を殺しております。政治の実権を握りたかった松永久秀にとっては邪魔だったんでしょう。

 

 

 

足利義輝は将軍の中でも剣の達人であったといわれております。しかし、そんな達人でも多勢に無勢でかなわず、暗殺されてしまいます。

 

 

そして政治の実権を握ろうとしようとしていた矢先に新しく将軍をたてたのがあの織田信長でした。

 

 

 

裏切りと壮絶な最期

そんなこんなで松永久秀あっさりと信長に降伏します。戦って勝てないと思ったのでしょう。

 

 

しかし、いろいろあって結局最終的には織田信長を裏切ります。

 

 

 

結果として信長には負けてしまいます。

 

 

そして最期、、

 

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爆死します((((;゚Д゚)))))))

 

 

なにやらお気に入りの茶器を渡せば命を助けると信長が行ったそうですが、信用できないとして爆死したようです。

 

 

とはいえ松永久秀の生き方も面白いんじゃないでしょうか。

 

 

 

 


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必ず食える1%の人になる方法ー自分の生き方でこれから選ぶ仕事を考える

どうも、最近いろいろな本にはまっている夏目です。

 

 

 

最近読んだ本の中で面白いなと思った本があります。

 

 

 それは藤原和博さんの「藤原和博の必ず食える1%の人になる方法」という本です。

 この本を知ったのはキングコングの西野さんが紹介していたからです。

 

 

 

toyokeizai.net

 

藤原和博さんとはどういう方なのか?

 

藤原和博さんは株式会社リクルートに入社し同社で実績を積んでいき、2003年から5年間東京都内で初の民間校長として杉並区立和田中学校の校長を務めた方です。

 

 

 

 

私も教員をしていましたが基本的に民間出身の校長先生はほとんどいません。なのでかなり特殊な経歴の持ち主です。

 

 

 

 

この本の中で藤原氏はこれから生きていくため重要なことは、「100人に1人のレアな人になること」とおっしゃっています。

 

 

 

 

 

そうなるために必要な7つの条件があると言っています。

 

 

 

7つの条件のうち4つは目指す生き方によって違うのですが、3つは共通しているのでまずそれを紹介します。

 

 

100人に一人になるための最低限必要な3つの条件

 

条件1 パチンコをするか、しないか。    

パチンコをする人は時間をマネジメントする能力が乏しくなる。

条件2 ケータイゲームを電車の中で日常的にするか、しないか

ケータイゲームにはまる人はメディアをコントロールできていない。

条件3 本を月1冊以上読むか、読まないか。

本を読まない人は一時情報しか得ることができない。

 

条件1をしない、条件2をしない、条件3で読む、を選んだ方は100人に1人に入るための最低条件をクリアしています。これだけで世の中の8分の1に入れるそうです。

 

 

世の中の8人に1人にこれだけでなれています。だいぶ希少な存在になっています。

 

 

そして、2択でそれを7個選ぶものなのですべてあてはまると2分の1が7回なので128分の1になります。つまり、128人に1人なので100人に1人の人間になれます。

 

 

そして1つの分野で100人に1人になることができたら、違う分野で100人に1人をなるといいそうです。2つの違う分野掛け合わせることができれば1万人に1人の存在になることができます。さらにもう1つ違う分野で100人に1人になれれば、100万人に1人というスーパーレアな人になれるそうです。

 

 

 

以上を知ったうえで残りの4つの条件は4つの生き方のタイプによって変わってくるのでこれで100人に1人になれるかあてはめましょう。

 

 

 

4つの生き方

世の中の人の生き方は以下の4つにわけられるとおっしゃっています。

 

A 「権力(サラリーマン)志向」の社長タイプ

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B「プロ(独立)志向」の自営業タイプ

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C「権力(サラリーマン)志向」の公務員タイプ

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D「プロ(独立)志向」の研究者タイプ

 

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この4つはそれぞれのタイプで100人に1人のなり方が違うので今回は私自身がなりたいと思っているDのタイプについて書きます。

 

 

「好き」を求める人の4つの条件 

 Dの研究者タイプの人はいわゆる自分の好きなことを仕事にして生活をしたいと思っている人のことです。

 

このタイプで100人に1人になるために残りの4つの条件があります。

 

条件4 一生を捧げてもいいと思えるほど好きなものがあるか、ないか。 ある

条件5 結婚するか、しないか。 する

条件6 家賃があるか、ないか。 ない

条件7 あなたのファンをつくれるか、つくれないか。 つくれる

 

 

まず大前提として条件4自分が大好きなものがあるかが必要になってきます。その好きなものを仕事にしていく。最近はやりの○○セラピスト、○○カウンセラーといった仕事です。

 

 

そして途中で話した2つの分野を掛け合わせるともっといいそうです。

 

 

例えば、ソムリエ兼空間デザイナーみたいな

 

自分だったら歴史家兼ブロガーみたいな感じになれたらいいかなと思ってます。

 

条件5の結婚をしておくといい理由が経済基盤が安定するからです。一人分の生活費よりも2人分の生活費のほうが安いからその分好きなことに回すお金も増えるのでいいようです。

 

条件6で家賃などの固定費でかかるお金はこのタイプの人は少ないほうが良いそうです。何でもシェアしてきりつめましょう。

 

条件7のファンの作り方は今の時代はSNSがあるので比較的につくりやすいのでそれらを生かすといいかもしれません。

 

 

 

最後に 

 今回書いた内容はほんの一部でしかないので自分のどの生き方を選びたいかは実際に読んで選ぶことをお勧めします。

 

 


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政治フェスで知った日本の天皇の凄さー日本神話から脈々と受け継がれてきた日本の天皇家

どうも、三日坊主で終わり、また三日連続で書いていこうと思います。

 

 

 

 

つい先日天皇家についてとある会で学んできました。

 

 

 

 

そのとある会とは、、

 

 

 

政治フェスです。

 

 

 

フェスというと、

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 こういった音楽などの大きなイベントとかお祭りをイメージしますが、

 

 

 

 

 

 

そういうものとは全く違っていて、

 

 

 

 

政治などの社会情勢をみんなで学んでいこうという取り組みです。

 

 

 

 

 

場所は名古屋市南区にあるLOTUSで行われました。

 

 

 

今は一般の人は入れませんが、4月からオープンすると聞いています。

 

 

 

今回は天皇制以外にも、北方領土やトランプについても議題に上がっていましたが、書くのは天皇制度について書きたいと思います。

 

 

天皇制度について 

 天皇制度については以前僕も年号のことで記事に書いたことがあります。

 

 

nattsu1991.hatenadiary.jp

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ただそのときにはあまり天皇制度については 書きませんでした。

 

 

 

 

なので今回はそういったことに主眼を置いていきます。

 

 

 

天皇の地位

よく天皇は国の象徴だといわれていて実際本当にすごいのと思われがちですが、

 

 

 

 

めちゃくちゃすごい人です!

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アメリカの大統領よりも、

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イギリスの女王よりも

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ローマ法王よりも、

 

 

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 日本の天皇は地位が高いです。

 

 

 

 

なぜそんなに偉いのかというと、

 

 

 

 

歴史があるからです。

 

 

 

 

アメリカが建国されてのワシントンのころでおよそ240年の歴史、イギリスの王室の始まりも一番古いといわれている説で約1200年なのに対して、

 

 

 

 

日本の天皇家約2600年!

 

 

もちろんこれには諸説ありますが、それでも聖徳太子のころから始まったとしてもおよそ1500年以上もあるのですから一番歴史があります。

 

他の国のように王朝が滅ぼされて違う国になってはいないため天皇家の歴史が日本の歴史でもあります。

 

 

 

 

そして、天皇家の始まりをたどっていくとなんと、、、

 

 

 

天照大御神にたどり着きます。

 

 

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まさしく神の一族なのです。

 

 

 

他の国から考えたらありえないことが日本だけ唯一残っているのです。

 

 

 

だから海外から尊敬されるのです。

 

 

天皇家の危機 

 そんな天皇家ではあるのですが、実は今存続の危機に陥ってしまっています。

 

 

 

 

それは何かというと、

 

 

後継者問題です。

 

 

 

世界でも類を見ない歴史を持つ天皇家ですが、今後継者が少ないんです。

 

 

 

天皇皇位を今継承できるまず絶対条件の一つが、

 

 

 

男系の男性天皇であることです。

 

 

 

これを満たすことができる人は4人しかしません。

 

 

 

 

天皇の子どもである皇太子殿下

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同じく子である秋篠宮殿下と孫の悠仁

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天皇陛下の弟君である常陸宮

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の4人です。

 

 

 

 

しかもこの4人のうち3人は50歳以上と年齢が高くなっており、若い皇位継承者は悠仁様しかいません。

 

 

 

 

これには裏でアメリカが11宮家を無くしたことも影響しているのではないかと言われております。

 

 

 

 

では、女性の天皇は生まれないのかというとこれには皇室典範が関わっていて、これを変えるのがものすごく大変なので今のところは女性はなることはできません。

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佳子様に個人的にはなってほしいです(笑)

 

 

 

 

 

日本人である以上は天皇家のことは最低限知っておきたいなと思いました。

 

 

 

 

 


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