どうも夏目です。
前回不登校のことについて長々とか書かせていただきました。
今回から不登校の偉人について紹介していきたいと思います。
記念すべき第一回目は、
南方熊楠という方を紹介します。
1.生まれ
南方熊楠は1867年に和歌山県の現在の和歌山市に生まれます。
名前の熊楠というのは、熊が熊野権現から、楠が熊野権現にあった大きな楠からとったと云われています。
父が南方酒造(現在の世界一統)創業者で家は和歌山県でも有数のお金持ちだったそうです。
そんな家庭で生まれ育った熊楠少年は野山を駆け回って昆虫採集や菌類の採集をしていたそうです。
あまりにも野山を駆けずり回りすぎて、家にも帰らないこともあったので、「てんぎゃん(天狗)」とあだ名されました。
また、本を読むのも大好きだったそうです。その中ですごかったのが彼は本を書写する能力が卓抜していたそうです。
蔵書家の家で100冊を超える本を見せてもらい、それを家に帰ってか書写していたそうです。
ものすごく記憶能力が優れていたようです。それが将来ものすごく役に立っています。
地元では神童と言われていたそうです。
そんな学校では問題児だったそうです。
しかしそんな中、鳥山啓と出会い博物学をすすめられ、夢中で勉強したそうです。
そして彼は中学卒業を期に和歌山から東京に移りました。
2.東京からアメリカへ
東京に移った南方熊楠は東京大学予備門(現在の東京大学教養学部)に入ります。
しかし、彼はまったく学校に行かなかったそうです。
そう彼はいわゆる不登校になります。
ただし、
積極的な不登校です!
彼は粘菌を集める為に野山をまた駆けずり回ったそうです。
そして、博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学など様々な分野を学ぶようになっていきます。
しかし学校に行かなかったため落第してしまい、最終的に東京大学予備門をやめます。
そして、アメリカに行きます!
しかし、アメリカに行ってからも熊楠は自分のスタンスを変えることはありませんでした。
学校に入っても問題を起こしてやめるなど破天荒な性格なままでした。
3.アメリカから世界へ
アメリカに渡った熊楠でしたが、大学に入っても日本にいたスタンスとまったく変わりませんでした。
いくつか大学に行きましたが、どこも長続きはせず、退学を何度か経験しました。
キューバなどの中南米の国々を周り菌類の研究を行い、その後ヨーロッパで研究に励みます。
ロンドンに渡って大英博物館に出入りして研究を行います。
その中で日本の書物の翻訳活動も行います。
有名な「竹取物語」や「方丈記」などの日本文学を現地の研究者と協力して行っています。
また、有名なイギリスの学術雑誌、
「ネイチャー」にも熊楠の論文が掲載されます。
生涯で約50稿ネイチャーに論文が掲載されており、これは日本人としては最も多い記録となっています。
ちなみに1893年に初めて記載された論文は「東洋の星座」というもので、彼が学問の幅広さが垣間見えます。
また、イギリス生活を中で、彼は中国の革命家である
孫文とも親交を深めます。
そんな中、1898年に大英博物館で人種差別を受け、暴力事件を起こし大英博物館を追い出されてしまいます。
そして日本に帰国します。
4.帰国してからの活動
日本に戻ってからは熊楠は自然保護活動に精力的に動きます。
1906年に「神社合祀令」が出されます。
これは、日本各地で神主のいない神社や土地をまとめるという法律でした。
その中で熊楠の出身地である和歌山県では3700あった神社が2900もなくなるという事態が発生します。
熊楠はこれに対する反対運動を起こします。
なぜこれに熊楠が関わっていたかというと、彼が神社の周りにある自然も研究の対象としていたからです。貴重な粘菌の採集を神社でも行っていました。
そういった熊楠たちの努力もあって、1918年に国会で神社の合祀の反対が認められました。
5.昭和天皇へのご進講、最期
熊楠の研究結果が認められ、1929年に昭和天皇の前でご進講を行われました。
ご進講というのは天皇などの地位の高い人の前で学問の講義を行うことです。
それが行われたというのはそれまでの研究が非常に価値のある物であったことがわかります。
その後、熊楠は1941年に亡くなりました。
それから、22年後の1962年に昭和天皇が再び訪れた際に熊楠の事を思い出してこんな和歌を読んだそうです。
「雨にけぶる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思う」
昭和天皇が人の名前を入れて読んだ和歌はこの一つしかないそうです。
それだけ思い入れのある人物であったのでしょう。
6.まとめ
南方熊楠は生涯で学校という組織になじむことが出来なかった人だと私は思います。
しかし彼は、学校以外で多くの事を学び、それが現代でも高い評価を得ております。
今不登校が増えている日本の中で、実は眠れる才能を持っている人がいるのではないでしょうか?
不登校だからダメなやつではなく、その才能いかに活かすかということを社会が考えなければならないと私は考えます。