どうも夏目です。
11月に入り秋らしくなってきていますね。
秋になると涼しい気候の反面、朝と夜の寒さが増してきて、外に出るのが嫌だなと思う人もいるかと思います。
ということで今回は不登校について書きたいと思います。
不登校とは
「不登校」とは何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、「病気」や「経済的理由」によるものを除くものと定義している
※「不登校」の具体例
- 友人関係又は教職員との関係に課題を抱えているため登校しない(できない)。
- 遊ぶためや非行グループに入っていることなどのため登校しない。
- 無気力で何となく登校しない。迎えに行ったり強く催促すると登校するが長続きしない。
- 登校の意志はあるが体の不調を訴え登校できない。漠然とした不安を訴え登校しないなど、不安を理由に登校しない(できない)。
文部科学省
文部科学省ではこのように定義していますが、専門家の中でも意見が割れているそうです。
私自身も以前中学校に勤めていました際に不登校の子どもを目にしてきました。
その中で見てきた子の中には無気力で来ない子であったり、体の不調を訴えて学校に来るのを渋ったりする子がいました。
では不登校はいつぐらいから全国的に問題化していったのでしょうか?
不登校の歴史について
不登校の歴史を知る前に学校がいつから始まったのかについて以前書きましたのでその上で書いていきたいと思います。
学校教育が現在のようなシステムになったのは戦後からです。このころから義務教育が9年間になっています。
小学校・中学校に行くことが義務になりました。
高校は義務教育ではありませんがほとんどの人が行くようになり、現在は98%の人が行くようになっています。
それに伴い不登校問題も発生してきます。
不登校はかつて「登校拒否」と呼ばれていました。
登校拒否というと学校が嫌いで行くのが嫌であるイメージになります。
1970年代後半から1980年代前半は校内暴力が全盛期の時代で、その頃はどちらかというと学校が嫌いで来なかった子どもが多かったので登校拒否という言い方が使われていました。
そして熱血系のドラマが流行ったりしました。
代表的なものが
スクール☆ウォーズ です。
そしてこの時代の後ぐらいから学級崩壊やいじめが社会問題になってきました。
それに伴い、引きこもりや不登校が増加してきました。
なので不登校という言葉が使われ始めたのは昭和の終わりから平成の始まりであると云われています。
ちなみに私が勤めていた学校では不登校という言葉が使われていました。
では実際に不登校はどれぐらいいるのでしょうか?
不登校の数
それでは実際に不登校はどれぐらい今現在いるのでしょうか?
下のグラフは平成27年度までの小中学校不登校の数を表したグラフです。
全体で約12万6000人で全国の小中学生の1.26%が不登校になっています。小学生で焼く0.43%、中学生で2.83%です。小学生は227人に1人、中学生は35人に1人の割合で不登校になっています。
なので、中学校では各クラスに1人は不登校がいる計算になります。
結構多いんだなと思います。
最期に不登校の原因について書きます。
不登校の原因
不登校の原因は正直たくさんあり、これが原因と一つのものを上げることはできませんが、いくつか紹介していきたいと思います。
- いじめ
- 教員との人間関係
- 無気力
1.いじめ
不登校の原因になるもので大きな原因となるのがいじめです。暴力的なものから、陰口のような陰湿なものまで多岐多様にわたります。
よくこんな子はいじめにあいやすいというものがありますが、正直なところいじめは誰が標的になるかはわからないです。
成績が良かったり、かわいかったりして嫉まれる場合もありますし、からかいやすくてもなります。
そして私はいじめはなくならないと思っています。(現在のところ)
なぜかというと、人間には好きという感情があるからです。
これはとある本に書かれていたタモリさんの言葉を引用したものですが、ものすごく確信をついているなと思いました。
例えば、自分が中学生の男のだったとして大好きな女の子がいたとします。
しかし、その子が別の男の子のことをが好きでその子と付き合うことになったらどうなるでしょうか?
大人でも割り切れないこの問題を多感な中学生はどうとらえるでしょうか?
きっと私が中学生なら恨んだり、嫉んだりするでしょう。(今はしませんが)
周りに風評被害を流したりするかもしれません。
このように好きという感情が原因となって奪い合いが発生します。これは物でも一緒です。自分が食べたかったラーメンを食べられた、欲しかったゲームを先に買われて変えなかったという経験はすべて好きという感情が原因で発生しています。
もちろん人を好きになったり、何好きなことができて夢中になることはいいことです。それが人類の発展を支えてきたのですから。
ただし、そこから憎しみや悲しみも生まれていることを知るとなんだか切ない感じがします。
2.教員との人間関係
生徒同士だけでなく、教員との人間関係も原因の一つと云われています。
例えば、今までは優しい担任の先生だったのが急に厳しい担任の先生になり、怒られることが増えたとします。
先生としては子どもが良くなってほしいと思って言っていることでも、子どもは自分のこと否定しているんだと思ってしまうことがあると思います。
そこから、学校に行きたくないと思うようになって行かなくなることもあると思います。
先生としては一生懸命子どものことを思っているのになぜ来ないのだと躍起になって無理やり来させようとしますが、そうなってしまっては絶対に子どもは来ないと私は考えます。
そこには信頼関係はないのですから。
そうなる前に気づかなければならないと思います。
3.無気力
よく学校がつまらないと中学生ぐらいになると思っていた人はいたと思います。それで無気力だなーなんて言われてことはないでしょうか?
なぜつまらなかったのでしょうか?
原因はいくつかありますが、それはおそらく興味のないことだったからではないでしょうか?
社会の謎の年表の暗記、数学の公式、国語の古文などなぜこれを勉強しなければならないのかと感じた方は多いはずです。
家でゲームをしたほうがよっぽど楽しいと思った人もいたのではないでしょうか?
反対に勉強が好きで簡単すぎて学校がつまらないと感じた人もいませんでしたか?
私は社会の歴史が好きだったのでもっとたくさん学びたいと思っていても周りに合わせて簡単なことを勉強していたのであまり面白くはありませんでした。
つまらないということでくくられがちですが、実はその理由を詳しく見るとちがっていることもあります。
特に興味のある無しで考えると実は発達障がいも関係しています。
特に自閉症スペクトラムなどはこういった不登校の原因に関係していると考えられています。(書き記事にて詳しく書きましたのでご参照ください)
まとめ
不登校は現在数が増えてきており大きな社会問題となっています。
要因もさまざまあり、対応策も一つではないので正直なところ具体的な解決策はありません。
ふと考えたのですが、不登校は悪いことなのでしょうか?
中学校に勤めていたは何とかして学校に来させなければならない、と周りの教員に合わせていいました。
しかし、最近発達障がいの子たちで学校にうまく合わせられなくても、自分の才能持っている子達を目にする中で疑問を感じるようになりました。
もしかしたらその子たちは不登校になるかもしれません。
ただ生きづらさを感じて生きていくよりも、自分のやりたいことをしている方がこれからの時代を生きていくうえで大切だと思います。
ということで、これから不登校の偉人を定期的に紹介していきたいと思いますのでこうご期待して待っていたください。