どうも夏目です。
最近は寒くなったり、熱くなったりと少し体が疲れる日々を送っている方々も多いと思います。
そんな方々に少し心が温まるような話を紹介したいと思います。
皆さんはパール判事を知っていますか?
ほとんどの方がご存じないかと思います。
かくゆう私も最近まで知りませんでした。
この人はいったいどのような方なのでしょうか?
インド生まれのパール判事
本名:ラダ・ビノード・パール
1886年にインド・ベンガル州ノディア県クシュティヤ郡カンコレホド村に生まれる。
元々は数学者を目指していたがのちに法律を学び、裁判官やコルカタ大学教授などを歴任。
インド人のこの方が日本とかかわりを持つようになったのでしょうか?
極東国際軍事裁判(東京裁判)
パール判事が日本とかかわりを持つようになったのは1946年。太平洋戦争が終わった翌年のことでした。
当時の日本は敗戦国ということでその責任を問う裁判が行われていました。
それが極東国際軍事裁判(東京裁判)です。
これは敗戦国の日本の太平洋戦争における指導者に対して行った裁判です。
実際には裁判という名を借りた戦勝国のリンチだったと云われております。
次々と日本の戦争にかかわった指導者たちは罰せられて行きました。
そんななかでただ一人違った対応をしたのが、パール判事でした。
彼はすべての判事が有罪とした判決の中でも一人無罪を主張し続けました。
国際法の平和に対する罪や人道に対する罪が事後法がであり、それで裁くことの不当性を訴えかけて日本人の指導者の無罪を主張しました。
そして彼はパール判決書というものを彼は発表しました。
パール判決書
彼はパール判決書の中で次のように主張しています。
パールの裁判における判決書は、英文で1275ページに及ぶ膨大なものであり、全7部で構成されている。
- 一部
- 裁判官が戦勝国出身者のみで構成されている事の適切性
- 侵略戦争の責任を個人に求めることの妥当性
- 二部
- 侵略戦争と自衛戦争の区別。この中でパールは、日本の戦争を一方的な侵略戦争とは断定できないとしている
- 三部
- 証拠および手続きに関する規則の検討
- 四部
- 訴追事由の一つである「共同謀議」論の否定
- 五部
- 裁判の管轄権。この中では真珠湾攻撃以前の案件を扱うことは事後法となり、管轄権を侵害しているとしている
六部
七部
しかし、この判決書は東京裁判では公表されませんでした。
彼は判決書の中でこういっております。
「戦争に勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。」
彼は欧米のことが嫌いで日本のことを贔屓したわけではありません。
きちんと太平洋戦争のことを2年以上調べて膨大な資料を元にしてこの判決書をつくっています。
その上で欧米の圧力に屈することなく発言をした勇気のある人です。
こういった人ほど教科書に乗せるべきなのかなと私は思います。
*1:wikipedia ラダ・ビノード・パール参照