どうも夏目です。
前回は歴史を学ぶのが嫌いな理由について書きました。
その中で私自身も昔感じたことなんですが、
なぜ歴史を学ぶ必要があるのか?
ということです。
多くの人が過去のことをなんで学ばなければならいのかというような疑問をもっていたかと思います。
そこで今回は私自身が歴史を学んでいく中で気づいたことがすこしでもその疑問の解消になればいいかなと思って書きます。
今回は2点あげたいと思います。
過去を学ぶ大きな意味
今生きているいる私たちも過去があって今があります。どんなに偉大な人であっても子ども時代や無名で名前を知られていなかった時期が必ずあります。
必ずどんな人にも平等に過去があります。
その過去を知ることは私たちの人生を豊かにしてくれます。
自分が今ものすごく辛い状況にあって、死にたくなるぐらいの状況になっていて自分だけしんどい思いをしているのではないかと思っていたとします。
それって実は他の人も体験していることでもあります。
例えば、スポーツで全治3か月ぐらいの大きな怪我を自分がしたと思います。部活でレギュラー争いをしている人からしたらものすごくショッキングなことかもしれません。
それでも、その怪我は誰かが経験していることであることがほとんどです。
だからどれぐらいの期間で治るのか、どんな治療の仕方をすればいいのかほとんどの怪我の場合わかっていることが多いです。
このように歴史を知るということは意外と結構身近な生活にも生かされていています。
特に本を読んだりすれば過去の人が体験したことが疑似体験することができます。
なので生きていてつらいときにいろいろな人との伝記を読むと辛い時の乗り越え方がわかるのでお勧めです。
歴史を学ぶということは過去の人の願いを知ること
歴史を学ぶことでわかることがあります。
それは今あるものがなぜ存在しているのかということです。
どういうことか簡単に説明すると
今皆さんが持っている
Ipone。
これはある日突然この世の中に誕生したものでしょうか?
いいえ、そうではないはずです。
開発研究者の人々が寝る間を惜しんで、もしかしたら命を懸けて作ったものかもしれません。
決して偶然誕生したものではありません。
ではなぜ誕生したのでしょうか?
これが作られたことには必ず理由があると思います。
それは今生きている人たちの生活が良くなってほしいという願いあって作られてのだと思います。
昔は家からしか電話ができなくて、連絡を取ったりすることが不便でした。
もっと昔は電話すらなくて、手紙などでやり取りをしている時代もありました。
そんな中でもっと連絡が取りやすくなるために携帯電話が生まれ、その携帯電話でもっといろいろなことができるようにIponeができたのだと私は考えています。
世の中に存在するものはすべて過去の人の願いがこもって作られたものです。
自分の名前は両親がこんな大人になってほしいという願いから、学校の校則や国の法律は人を縛るためではなくこんな人間であってほしいという願いから、今を生きているすべての人は過去の人の願いがいっぱい詰まった世界を生きているんです。
そんな素敵な願いが込められた世界を生きてということは実はとても幸せなことなんじゃないかなと私は思います。
まとめとして
歴史を知るということは幸せを感じることなんじゃないかなと私は思います。
辛いことがあったときに歴史を知れば自分ひとりじゃなかったということを感じることもできるし、自分の名前の意味を知れば自分が両親か愛されて生まれてきたのだと実感できると思います。
身の回りにある幸せを再発見できる素敵なことが歴史を学ぶということだと私は思っております。