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スベリスト夏目の歴史からものごとを考えるブログ

現役放課後等デイサービスが伝える発達障害の支援方法や歴史学観点から見た教育や子育て方法について

海難1890から見た日本とトルコの関係ーエルトゥールル号事件について

みなさんお正月はどんな風に過ごしましたか?

 

 

 

 

旅行に行ったり、地元に帰ったり、家でただ寝たりとそれぞれ過ごしたかと思います。

 

 

 

その中でお正月特番ばかりでちょっと面白くないなと思った人の中にはDVDを借りたりしてみた人もいるのではないでしょうか?

 

 

 

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そんな中わたしは海難1890という映画を見ました。

 

 

この映画は日本とトルコの間でおきた2つの出来事を軸として描かれています。

 

 

 1つ目の出来事

エルトゥールル号遭難事件

 

この事件は1890年に東京を出発したエルトゥールル号途中で台風の被害を受けて和歌山県の串本の大島沖で座礁してしまった事件です。

 

その際に500人以上の死者が出てしまいました。その中で当時の大島村の人々がトルコの人々を救助しました。台風で出漁できず、自分たちの食料の確保も難しい状況の中で、衣類や食料などをトルコ人に提供し、69名の救助を行うことが出来ました。その後無事に救助されたトルコの人は本国へ帰ることができました。

 

 

 この一連の出来事がトルコの人にも知れ渡ることになり、遠いに異国である日本に対して好印象を持つことになりました。

 

 

 

 

2つ目の出来事イラン・イラク戦争

 

 

時は進んで、1985年。

 

 

 

 

この年中東ではイラン・イラク戦争おきます。

 

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その際にイラクサダム・フセインはイラン上空の航空機に期限を定めた無差別攻撃宣言をします。各国は期限までに旅客機や軍用機で救出したものの、日本は自衛隊の海外派遣不可の原則があったため航空自衛隊での救援ができませんでした。

 

 

 

さらに、当時唯一国際線を運行していた日本航空も「イランとイラクによる航行の安全が保障されない限り臨時便は出さない」として在留法人は脱出できない状況に陥ってしまいました。

 

 

 

その時に救援してくれたのがトルコでした。

 

 

 

なぜ助けてくれたのかというと、前述のエルトゥールル号遭難事件で日本人が助けてくれたからというものでした。

 

 

 

このときの駐日トルコ大使がいった言葉が「私たちはエルトゥールル号の恩を返しただけです。」だそうです。

 

 

 

 

自国の人よりも他の国の人々優先したにもかかわらず、トルコ政府を非難する国民はいなかったそうです。

 

 

 

 

お正月の年明けそうそうにトルコでは悲惨な事件がおきました。だからといってトルコが悪いところではないとは思うので、その地にいる人のことを考えてみるのもいかがでしょうか?