最近更新が2週間ほどとどこってしまっていたので、書きます。
先日こんなニュースを見ました。
聖徳太子と鎖国が社会科の教科書から消えてしまうという事態に!
小中学校で習ったことが覚えのある人はええ~ってなってしまいそうなことですが、なぜこんなことになったのか調べてみました。
聖徳太子について
聖徳太子はその名前の通り、聖なる徳を持った太った子、、、
ではありません! 若干貫禄があり悟っていますが(笑)
聖徳太子は飛鳥時代の政治家として活躍した人物で、彼が行った政策として有名なもので憲法十七条や冠位十二階があります。
憲法十七条は貴族や官僚に対しての道徳的な規範のようなものであり、聖徳太子が取り入れた仏教の教えなどが色濃く反映されものでもあります。
冠位十二階は役人を家柄などにとらわれず幅広く様々な人材を登用するために実施した制度で、帽子の色によって位を分けた制度です。
そのほかにも遣隋使の派遣や法隆寺の建立など様々な業績を残したことから、、
一万円札にもかつては使われていました。
しかし今回教科書から消えてしまう羽目になってしまいました。
聖徳太子はそもそもいたのかどうかというう説もあり、研究の結果今回の判断になったのではないでしょうか。
そのかわりに聖徳太子という表記から厩戸王(うまやどおう) というう形で表記されるようになります。
この厩戸王の名前の由来は、馬小屋で生まれたからその呼び名がついたのではないかと言われております。
馬小屋で生まれた人物でほかに有名な方であのイエスキリストもあげられます。
あの「聖徳太子」が教科書から姿を消すワケ | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
そんなこんなで聖徳太子には数々の噂が立っています。
鎖国について
もう一つ有名な鎖国も今回消えてしまいます。
鎖国というと、海外の国々と貿易を全くしなくて海外から孤立しているようなイメージがありますが、
実際には江戸時代も貿易はしっかり行っています。
鎖国はどちらかというと、幕府が貿易の利益を独占するために各藩が勝手に貿易をするのを制限していたっていう解釈のほうがわかりやすいかもしれません。
この時代は、中国・オランダといった国々から、当時はまだ日本に属していなかった琉球や蝦夷といったところとも貿易をしています。
鎖国という言葉が広まったのは志筑忠雄が書いた『鎖国論』というう本が発端であり、当時日本人が外国に行くのを制限していたり、外国の人が来るのを制限している様子から鎖国という言葉を用いて表したそうです。
何はともあれ、鎖国という言葉もなくなるそうです。
教科書の言葉の変化について
こういった言葉が消えたり変わったりするというのは実は過去にもあったりします。
例えばこの人、、
源頼朝といえば、1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府ですが、
実はもうこれは今の学校教育では使われていません!
ええ~と思う人もいると思いますが、本当の話です。
なぜ記載されなくなったかというと、1192年に幕府を拓いたというう根拠が近年の研究でないということが分かったからだそうです。
1180年説、1185年説などいろいろな説があり、明確な年は今の教科書には書かれていません。
このように社会科の教科書というのは時代とともに変化していくものであるので、その時正しかったものが今も正しいということにはなりません。
世の動向によって左右される強化であることを知っておくと面白いかもしれません。
次はどんな言葉が変わるのか!